夜中に泣く理由

夜中に泣く。

というのはあまり幸せそうな響きではないし、実際まあそうなのであろう。

現実的に困っていることもある。

とてもじゃないけど電車に乗って国内何番目だかの都会に「通勤」をしたくないから、具合も悪いしこの情勢じゃ無理です、と申し上げたらパートの会社をクビになった、という現実的な側面がある。

しかも友達が紹介してくれた職場だから申し訳無さもときどきセットでついてくる。

親切な親切な友達’s on インターネット、が、ありとあらゆる心配をしてくれ、応援をしてくれ、本人も忙しいのに時々シゴトをくれ、手段を考えてくれ、何かの手続きを教えてくれ、食べ物なら送るから、と伝えてくれる。

今までは例え「ハイ仕事辞めまーす!」つって辞めたとしてもすぐ次を見つけてどうにか自転車操業できていたので貧困ながらもなんとかなった。しかし、この情勢である。

なかなかのピンチである。

でもそうじゃなくて。

いや、そうなんだけど。

わたしが夜中に泣くのは、来月どうしましょう、とか、そういった物理的な心配や不安でもあるかもしれないけれど、

そうではなくて。

いかに自分が自分をないがしろにしてきたことに気がつくからである。

音楽を作って歌を歌いたいのに。

沢山の人に聞いてもらいたいのに。

やればいいじゃん、と思うでしょう。

でもできなかったんだよ、ずっと。どうしたら自分が自分を裸にして外に出せるかわからなくて、それが怖くて、仕事をしたり遊んでみたり酒飲んだりして、ずっと後回しにしてた。

今、役所への各種手続き(それもうまくいくかわからん)、このもしかしたら毎日仕事をするよりも苦痛かもしれないことが、いかにわたしにとって、ということについて考えていた。

わたしが何よりもしたくてできなかったこと。

ずっとずっとやりたくて、自分のコントロールさえできなくて、今になったこと。

わたしはさ。

それをやる人になるんだよ。

自分のために。

but I want to ask, How can I ?

愛について/時々

アイ・ラブ・ユー、という言葉があるそうです。

そうです、というのは、この3wordsにわたしたちニホンジンが迂闊に手を出すと、

「日本の人は意味をわかっていない」

と怒られてしまうからです。

そうでしょうね、と思う。

わたしは海外の友達がそうとは言わずとも(もしくはいろんな気持ちからでも)わたしのことを気にかけているとき、そしてそれが「友情」や「同情」から来るものであるときさえ、

彼らがそう言わずとも、根底に「ラブ」というものがあるなあ、と感じています。

例えそれは恋人や親子でないと言わない人であってもね。(ふつう、まあ、言いませんが)

アイ・ラブ・ユー、と、言って、と時々きみは言います。

アイ・ラブ・ユー、と言って、と時々わたしは言います。

しかし、

しかしだよ。

ねえ、もしかしたら、もしかしたらなんだけど

それを今1番必要としているのは、きみ自身じゃないのかい、と聞きたいときがあるんだ。

だから、

きみが、きみ自身に。

なんでここ数年、いろんな人たちがLove Yourself って言うようになったと思う?

それはただの流行りや、流行歌のものではないのだ。

そもそも歌が流行するのにはそれなりにわけがあって、どんな産業音楽さえ、そうなんだけど、それはまた今度にして。

Love yourself、なんだか難しそうですね。

「自分自身を愛する」

なんなら日本語で書くともっと難しそうな感じさえするし、「愛」についてニホンジンハー、て言われそうでもあるね。

シンリガクのヒトも、それが大事ー、って言ってるよね、うんうん。

そうなんだけどさ。

そうなんだけど。

その言葉を、1番必要としてるのは、他人に言ったときの自分の胸が暖かくなって優しくなった気持ちになるような時、でもなく、この世にあなた一人である、という意味を含めて、相手に、でもなく、

ただただ、きみ自身に、きみ自身が言うほうが、いいんじゃないかって、

思うときがあるんですよ。

余計なお世話って、鏡の中のきみは言うだろうけど。

そう思うんだ。

時々ね。

I saw it standing there

わたしが「それは日本には訳語がないのだ」という旨のトピックに触れたとき、もうそれについての議論はひと通り終わっているようだった。

…ので、ふむ、と覗き込ませてもらうと、このように書かれていた。

“integrity という言葉は日本語に訳がない”

若干不思議に感じた。と、いうのも英語で記事を読むなり何かを読むなり、話すなりすればそれは英語ネイティブの人でなくても普通に出てくるからである。で、特に訳を頭の中で引っ張ってきてなかった。日本語訳のこと考えたことなかった。

あんなにあの単語いっぱい出てくるけどな?と思ってその交わされている議論を見つめたりたまにコメントしてみたが、時は遅いどころかわたしのそれはどうも的を外れているようで(議論は適切な日本語解説、当てはまる日本語に移っていた)、

わたしはその後しばらくそのことについて考え、(いや、日本文化にその概念がないのわかるわ、というか概念がないからこうなっているという方が正しいもの)と思ったりした。

未だにその言葉について妙にこだわったりなんだか愛憎こもってしまっている人まで見るのであんまり日本語のTwitterで書かないが、はっきりと言って「人によってintegrityは様々である」等と言ってる人を見ると「????」と思考回路が斜め上方向に飛んでいって帰って来なくなるのでやっぱりやめておく。

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それは垂直に立っているものであり、人を垂直に立たせるものでもある。

なくても人は立てるかもしれないが、

「まっすぐ立っている」とは言いづらい、とわたしは思う。

垂直に立っている上で、個人の中に独立して存在しており、なおかつ平行性を持っているので人々は共通して相手にもその感覚がある前提で話をするし、日常生活を送る。

それが今の所、わたしの感覚である。

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あけましておめでとうございます。

今年はこのブログを見てくださってるみなさまがさらなる幸せに溢れた1年でありますように。

少しでも世の中がよくなりますように。

ちょっとずつ、よくしていこうね。

今年もよろしく。

北の国から 3 1/2

わたしは長いこと『北欧』に憧れていた。

誰とは言わないが誰かも写っている

『北欧』と言っても別に福祉とか日本人にはオシャレに見える白を基調とした家具とかかわいいデザイン、ではなく、何ならデンマークのことはチーズケーキと某俳優兄弟しか知らないのではないかと思うしノルウェーについてはあの歌と森のことしか思いつかないし(ごめんなさい)、なのだが、

長いことアイスランドの音楽が好きで、いったいどこをどうして何を食べて育ったらこんな音とメロディと歌詞が書けるのか全く想像もつかず(日本の暖かい、いや暑い方面で育った身としてはまだなんぼか南半球の音楽の方が理解できそうな気さえする)、この音から溢れる残酷さ、これは何なのだとずっと思っていた。毎日毎日狂ったように聞いても理解できなかった。あの冷たい声と冷たい音に含まれた狂気のような野性。まだなんぼかクラフトワークを聴いて「ドイツの人ってきっとこんな感じ」と想像する方が近かった。

ある日わたしが崇めるように好きだったBjörkのインタビューを読んで尚更その気持ちは強くなった。もう20年ぐらい前じゃないかと思うけど彼女はこう述べていた。

「わたしの国では大統領も他の人もみんな同じ道を歩くの。同じ道を歩いて、街で会うのよ。それで話したりするの。それってあまり他の国じゃ考えられないことでしょう?」

と。なんてこった、と思った。そんなこと、ええ、ここじゃ考えられない。その辺を歩いているPMなんて想像もつかない。なんでもかんでも「先生」呼びして(わたしがその政治家から何かを教わったのか?と常々疑問だし今後誰かをそう呼ぶことはないであろう、この不思議な敬称)なんとなく「えらいひと」という謎のヒエラルキーの中で生きている、ここで。

…って思ったんだよね、とある日Nに述べると画面の向こうでNはぱっと身を起こしてこう言った。

「それ、うちも同じだよ。今の人じゃないけど、もっと昔、選挙に友達と行って話しながら歩いて帰る途中、人にぶつかってさ。「ああ失礼!」って顔を見たら大統領その人だったから、「ああ!今君に投票してきたよ!」って言って握手して帰った。」

その瞬間に行くことが決まった。いや、行きたいと思ってはいたが行かなくてはいけないなという気になった。アイスランドはさておいても。その国に。

では、実際に行ってどうであったかをわたしは書かねばならないと思う。しかし、こういった写真がもう雄弁なのではないかとも思う。わたしの言葉よりも。

適当にその辺にたくさんあるベンチ、子供のための遊び場。

ケチで意地悪な謎の手すりなんてついてない。。。。

わたしが普段見てるものは何?とまで思って少し悲しくなった。あれらは、いったいなんなの?座れるところをどんどん減らし、街なかで座るためなら金をかけなくてはいけなくて、椅子の形状も長い時間は滞在できなくて、「デザイン」とさえ呼ばれるあれら。少しでも身体のどこかが悪いと、階段を避けるために途端に遠回りをしなければならない駅や建物。女性専用車。至るところのコンビニで煙草が売られているのにとことん撤去されていく灰皿。誰にでも目につくところにある、女性の胸や足があらわになっているイラストの数々。もう、わからん。

わたしは普段何を目に入れて生きているのだろうか。それは、誰のために誰のなんのためにデザインされたものなのだろうか。街の持っているメッセージは、わたしに普段何と言っているだろうか。考えただけで気が遠くなる。

“弱いものは排除せよ、誰かから文句のあるものは見えないようにせよ、排除したその先のことなどは知らない、ただ見えなくなればよい”

コーヒーショップでさえ、人々は英語でいうところの

“Excuse me”

を言わない。スウェーデン語の発音に自信がなかったわたしは注文をNに任せていたが、聴いていると全くそれが出てこないことにひそかに驚き続けていた。日本語にするとこうである。

「こんにちは!元気?今日の注文は何にする?」

「ありがと、元気だよ、元気?ええとね、これとあれと、それをくれないかな」

「わかった、これとそれとあれね。いくらになるよ。ちょっとまっててね」

「ありがとう」

「どういたしまして!」

。。。これ、同じ人間でできるんじゃん。

かつてわたしが日本の百貨店で働いていたとき、客が来たので持っていたiPadを(すぐにどこかに移動できるか使えるように)胸に抱えて「いらっしゃいませ」を述べたら、

数分後にその客が振り返り

「客の前で腕を組むのは失礼だと思うの!」と怒りを込めてわたしに叫び、あ然とするわたしたちの前から逃げるように去っていったことがあるが、これ同じ種類の生き物なのか?????

とってもそうは見えないのだけど。これ、同じ地球上に存在するヒューマンというカテゴリに含んでるのか??どっちも???

にわかには信じられないようなことをたくさん見聞きするけれど、わたしは、

「ぼくたちは全員平等なんだからね!」

と知っているこの国の人々が全員(!!)口を揃えて言う、そこが好きなのである。

そうである以上、多少の何かは今のところ、まだ全く気になっていない。

どっちかが王室の建物(たぶんこっち)
たぶんこっちが国会議事堂。たぶん。派手さが逆

続きます。

北の国から2

宿からのノーベル記念館兼市の建物

スウェーデンって不思議な国だ。

3週間いたのに全くどんな国なのか掴めなかった。おおよそだいたい人んちでぷよぷよ(知ってるかいこの懐かしいゲームを)をしていたというのもあるけれど。

今、こうして日本で言葉を探してるけどまだあの国を表す言葉をうまく適切に見つけられない。

イタリアは簡単だったんだよ。シンプルだった。プラスチックケースに入れて放っておけるほどの沢山の歴史と遺物と感情の数々。

美とパッションが人々と街を作って、美とパッションに人は注目する。それはとても楽しい体験だった。怒るのも泣くのも笑うのも歌うのも。誰もそれらを否定しない。

スウェーデンに、ではそれがないのかというとそんなことはない。

でも、確実に違う…あの感覚。

今、無理矢理言葉を探してみると、

野性と知性のバランスが両極端で、地面にいる野性を見下ろすようにして垂直に三角錐の知性がそびえ立っている。それは少しというよりかなり鋭角で、尖端が鋭く光っている。

今のところ、わたしはあの国のことをそう言うだろう。冷静さと野性の両極端。

狂気と静けさの間の薄い鏡。

人々、滅多にセルフィー取らないし、歌いながら歩いたりしないし、そのへんで踊ってる人もいないし、大きな声で喋ったりもしていない。

広大な土地に比べて人が少ない(完全にアジアの人口密度の高い街から来た感覚で物を言うが)、平日の下北沢よりひとが少ないんでないかい?ぐらいの首都。

これで土曜の夜5時とか6時!!ストックホルムのメインストリート!!

だからといって人々が別に優しくないわけでも冷たいわけでもない。淡々としているように見えるだけ、という感じがする。街中で目が合った人たちの目の奥の興味。暖かい目。

ハーイ!と話しかけてきても、国籍も性別も聞かれない。余談だが、わたしはこの国に来て、生まれて初めて海外において

「誰からも国籍を尋ねられることがない」という経験をした。最終日の空港まで。

台湾だって(屋台でお茶すすってたらおじさんが日本語でにこにこしながら

「日本から来ましたか?」と尋ねたり、もうどこでだってそう聞かれてきていたのに。)

出国前はもちろん、エールフランスだって何度もしつこいほどにMadam、Monsieur、と尋ねてきていたのに。

店に入れば店員さんたちがこちらを見てさっと英語に切り替えて話しかけてくる、その程度で、どこから来たのかなんて1度も聞かれなかった。1度も、だ。

最終日に、空港へと向かう朝のバスの中で誰かの携帯が鳴った。それはABBAの曲で───わたしはこの国の人々が何故今も彼らの音楽を愛しているのか不思議に思っていたのだけど─────

その瞬間に、わたしは理解した。

彼女たちの声、あの平たく冷たく伸びていくあのソプラノとメゾのコーラス、あれは郷愁なのだ。

あんなに音楽と景色がフィットした瞬間に出会ったことがなかった。

ある寒い日本の冬に、ある寒い土地で電車を待つ間雪風に晒されながらBjorkを聴いていて

「ああ今ちょっとだけこの曲の温度がわかる、リアリティがある、アイスランドで聴いたらこんな感じなんだろう、もっと説得力があるんだろう」と感じたことがあったけれど、

それよりも遥かに実感を伴ってそれはやってきた。当たり前ではあるけれど。

一見華やかに聴こえる彼女たちの声は野性を孕んでいて、メロディはこのどの平野から聴こえてきても不自然じゃなかった。性と恋と思い出の匂い。生々しい生の匂い。土が歌っているのかと思った。風が鳴らしているのかと思った。そういうタイプの、しかし自然の中で人間が奏でる、暖かさを求める音。

都会なのかそうじゃないのか、人が嫌いなのかそうじゃないのか、さっぱりわからなくて、冷たいのか優しいのかも見当がつかなかった。

住んでいる人々は自分の国を退屈だと言うし、Nなんか

「君は楽しそうに牛を探してるけど、退屈だよ、ストックホルムに行く電車の中で『ハーイ!牛だねー』、帰りの電車で

『ハーイ!君は行きにも見た牛だねー!』って思うぐらいなのに」

とまで言っていたけど。

自然と都会のバランス、あれがあの国なのだと思う。現代と過去のバランスを知性と理性でくぐっている。

あのバランスを、野性に引き戻すのがきっと彼女たちの音楽だったりするのだろう。

日本人が混乱する光景、ストックホルム駅のホームを走り抜ける車

次回のブログはもう少し本格的に観光をします。

たぶん。

北の国から

「虹の色の数え方は国や地域によって異なるんですよ。7色でないことがあるんです」

と、最初に聞いたのはいつだったかな。思い出せない。

とにかくわたしはそれを思い出し、それからあれは嘘だ、と思った。

正確に言うと嘘ではないが、正確に言うと嘘だ。

だって今、わたしは5色の虹を見てるから。あれはどこだろう。ノルウェーか。。。さっき、ダンケルクは見た。ヨーロッパの地形そのままを、上空から見るのは初めてだ。

なぁんだ、単純に環境によって見え方が違うだけじゃない、としみじみした。あんな暗い色の虹は、初めて見た。

人にはいろいろなタイプがいるが、わたしは「体験しないとわからない」という思い込み特化型で、バカなものだから、実際にこの目で見て初めてわかることがあると思ってる。この身体で体験してみてわかることがあると。

その思い込みはわたしに随分とイヤな思いをさせてきたが、いいことももちろんある。

そしてたぶん──わたしは良いところに近づいている。飛行機の小さな窓からでも、外の空気がきれいになっていくのがわかる。

いいところなんだな、と嬉しくなった。

たぶん思ってるより自然が多くてきれいで気持ちいいところのはずだ。

ここまでの、文字通り息も詰まるような日々と旅程から自分が少しずつ解放されていくのがわかった。

以前、ローマのある街で、友が述べたことがある。

「今の人たち、北の方の人たちだわ。アクセントでわかる」

視線の先にはブロンドの家族。

「そうなの?聞いてなかった。でも北の方って?スカンジナビアってこと?」

友は何を言うんだ、と言いたげな顔で答えた。

「ドイツ」

ドイツが、、北?

ええまあ北ですけれど、ここから比べれば。それは何ですか神聖ローマ帝国時代とかそういうあれですか!?

そんなことをふと思い出して1人笑う。

Hallå,わたしは北の国に来ました。ドイツを超えて。

もっともっと北の国に。

Tough

「忘れないで、これだけは知っていて。君は強い、君は強い人なんだよ」

前にも聞いた、気がする。

今までも聞いたことが、あるような気がする。

その言葉を聞くたびにわたしはぼんやりする。

よく、わからないから。

誰かのことを強いか弱いかで測ってこなかった。だって、わからないから。

誰かが鉛筆削りを失くして嘆き悲しんでいたとしても、それはわたしにとってきっと価値が違うもので、とっても大切な鉛筆削りなのだろうし。

わたしには、わからない。

では、弱ければ、どうなのか。

弱ければ、わたしはどうしていたのか。

わたしは自分のことをあまり話さない。それを責められたこともある。何度も。

けれど、わたしはわたしの身に起きたことを話して、誰かを気まずい思いにさせたくないし、誰かがその話を聞いて腹を立てたり、泣くのも見たくない。

何よりも、話せない。

どんなふうに話すことなのかわからない。

ただ、その時の相手のハートがしっかりとこっちを向いていて───ここでわたしがわたしにとって真剣にならなければ、相手にも真剣でないことになる、その瞬間だけ、わたしは自分のことを話す。その瞬間を逃すと、その関係は終わるに等しいから。

けれども、

強いって何なんだろう。

それは、褒められているのかさえわからない。

どのことだろう。

地震で大切な人を亡くしたこと?

身の回りでたくさんの人が亡くなってきたこと?

わたしの十代で、わたしの身に起きたこと?

それなのにまだ生きてる、ってこと?

それとも、友人が殺されたのに、日本の警察に自殺として処理されたこと?

毎日のように襲ってくるDepression で、息も絶え絶えになりながら生きてること?

わかんないや。

何が強さで、何が弱さなのか。

ただ、生きたかっただけだよ。

ただ、そこで死にたくなかっただけ。

だから、わたしには、わからないや。

自分が強いのか、どうなのか。

たまに人は言う、わたしを愚かだと。

たまに人は言う、わたしは何かを間違えていると。

お前よりもっとよくやっているやつがいて、それはお前がミスをしてきたからなのだよ、と。

わざわざ教えに来る。

わざわざ伝えに来る。

たまに人は言う、他人の言うことに耳を貸すなと。

それから、たまに、誰かが言う。

「これだけは忘れないで、君は強い、とても強い人なんだよ。」

Smile

去年。ローマのダ・ヴィンチミュージアムにて。複製だよ

わたしはそれを窓から見ていた。

見るからに重そうで、野暮ったい制服たち。丈も決められていそうで、個性、という概念を端から塗りつぶそうという意思に見える。(だいたいなんで女子はスカートって決まってるの、あれ)ださいださい色の揃った靴下。ださいださい靴。自由がかけらもない一定の髪型。

高圧的、という言葉以外に当てはまるのは何だ?前時代的か?というぐらいの、偉そうな大人の男の声。

無理矢理に、何かの規則を持って並ばされる制服たち。ああ、お父さんが持ってた本で読んだことある、軍隊に似てる。

イヤだなあ、

わたしも来年はあそこに行くのか。

ああ、ほんとうにイヤだ。

自由があるようには到底見えないし、

何よりもちっとも楽しそうじゃない。

あれは、まるで軍隊みたいだ。

その地域の子どもたちは、親が金を使って塾に通わせて試験を受けさせて私立に入れない限り、小学六年を終わると自動的にそこに通うことになっていた。

だから来年あそこにいることが、想像できたとしてもそれはすごく憂鬱で、わたしは12歳にして憂鬱の概念にはっきりと触れた、あの午後のことを今でもよく覚えている。

ところで、大人になったわたしはある癖を持っている。

「自分がイヤな目に遭った話」を、わたしは笑いながらする。

もう少し詳しく書くと、

「笑った表情でしかできない。」

ここはカウンセリングルームじゃないから敢えてそれ以上は書かず、その事実だけを書いておく。

最近になって、

「日本ってどんなところ?」と聞かれることが増えてきた。わたしのちょうヘタクソな英語がほんのちょびっと上達したり、日本やわたしに興味がある人との交流をどんどん取っているから、機会も自ずと増えてくる。そしてわたしはわたしの経験を答える。

それで──気がついた。

彼らは、笑わないのだ。

いかにわたしが笑いを含んだ(どんな笑いであろうと)声で話しても、いかに口角だけを上げて話しても、

彼らは笑わないのだ。

わたしが髪を切られたことを。

定規をまっすぐ額に押さえつけ、前髪が眉にかかっている、耳から出る長さである、結んでこい、と言われたことを。

スカートに定規を当て、長さを測られたことを。

髪の色について問われたことを。

彼らは笑わない。

怒りを含んだ、もしくは含みながら失望のニュアンスまで含めて、悲しそうな顔で、

“I’m sorry “

と。

日本語であれば、

「信じられない。ひどい」

と。

ああ!

どれだけわたしに聞かせてやりたいか。

あの頃、「こんなところでやってられるか」と静かに怒り、「学校なんて行きたくない」と言い出し、親が泣き叫ぶ事態になり(成績優秀なクラスのリーダーでした故)、

教師どもは連日大混乱し家まで来たり来なかったりしながら学校にて知らない間にわたしの知らない同級生までわたしを知っているような、一躍有名人となり(ここはちょっと笑ってもよいと思う。未だにおかしくてしょうがない。)

祖母に「あんたには期待してたけど」とまで言わせしめた、あの地獄のような10代の数年間の真っ只中で反撃する術もなく、「もう死にてえなあ」とまで思っていたわたしに、わたしは聞かせてやりたい。

毎晩泣いてる親の顔を見るのが嫌でため息をついていたわたしに。

あなたは間違っていないのだよ、と。

笑いにしたら誤魔化せるんじゃないかと思っていた。

笑い話にしてしまえば、辛くはなかったのではないかと思えるんじゃないか、なんて思っていた。

そんなのは、ごまかしで、嘘なのだ。

当たり前過ぎて書くのもバカバカしいが、誰の髪も、身体も、服装も、その人のもので、その人の自由なのだ。

誰にも侵犯できるものではない。

12歳の、13歳のわたしはそれを知っていた。それがわたしにとって当然であったから、わたしは何も言わずただ行くのをやめた。

わたしはちゃんと、知っていたのだ。

それを聞いて笑わない友人たちも、また、それを知っているのだ。だから笑ったりしないのだ。もしかしたらわたし以上にわたしの痛みを知っているような気さえする。だからわたしは彼らの表情を、声を思い出して泣いてしまうのだろう。

「日本は厳しいから」

なーんて曖昧な表現で誤魔化される人権侵害について、何度言われてきたかわからないこの言い方を、わたしはこれからも許さないだろう。認めることもないだろう。

友人たちよ、ありがとね。

ここを読むことがあるかないかはわからないけれど、あなたたちに今、わたしは笑っています。それからあの頃の、ひとりで闘っていたわたしに。

愛を込めて。

伸びた髪

完璧じゃないと人に会いたくなかった。

完璧じゃないとあなたに会いたくなかった。

きちんとお化粧もして、上から下までバランスの取れた服装で、似合っていないものは選ばず、何日も同じでない、シワのないものを。汚れのない靴を。

あなたがわたしを見たときに、満足気に笑う顔が見たいし。

髪はその際たるものだった。

自分の髪はちょっとやそっとでまとまることはなく、長年の付き合いである美容師氏に

「70さんの髪をきれいにブローできたら美容師として一人前ですよ!」とまで言わせしめた、水分が少なくても多くても広がるくせのある多い髪。本人そのままのようであるね。誰ですか悪口言ったの。

そして、その髪は、近年だいぶん色が変わってきている。元々茶色く、薄い色をしていて、それから中学生の頃からあった白い髪はどんどん増えて、もはや若白髪って呼ぶのもなんだか違う様子になってきた。

「毎月ちゃんと美容室に行って、毎月染めないと目立つなー。わたしは身長も高くないから、見る人がわたしの頭をじっと見たら嫌だな」

だからできる限り毎月美容室に行って染めて整えてもらってできるだけそれを維持して、出かけるときにも時間をかけて全部やって。

自分がやってる、やってきたことを否定するつもりはない。

わたしの仕事、パーソナルスタイリストでもありますし、メイクもですし。

きれいにしているのといないのとでは説得力がまるで違う。それは別の話でね。

今年のある日Nが言った。

美容室にしばらく行ってないよ、この情勢だし、行かなきゃ、行きたいのに、というわたしに。

「え、そんなに美容室に行く必要あるの?。。。違いがわからない。。。トップが気になるとかそういうの?」

ちっちゃいカメラ越しにそう言うのを聞いてわたしはなんだかいたたまれなくなった。恥ずかしいような、屈辱的な気持ちもあった。

隠してたのに。とっくにばれていたのか。と。

ああそうだ、わたしは隠していたのだ。

よく見せようということは、つまりわたしにとってそういうことで。。。白髪とか。見えないほうが良くて。

なんだかとてもバカバカしくなって、唐突に白髪を遊んでやろうという気になった。

別に黒でなくてもいいんだし。

ストックホルムで、わたしの後ろに立っていたNはしみじみと言った。

「もちろんきみの好きにすればいいんだけど──────────やっぱりいいな!この青い髪!」

長いこと言われてきた、

「きれいな髪をしているね」

よりそれはよっぽど嬉しかった、気がする。今まで散々聞いてきたけど。

あの日までわたしは

「はいはい黒髪黒髪ハイハイ」

と思い続けてきたのだ。そこに含まれるfantasise とか、日本での他人からの髪色の強制(なんで???)とか、価値観の押し付け、とか、まあいろいろ。

そしてそれに迎合する形になっている自分に。

なんで、言うことを、聞いてきたんだろうね。

なんで、合わせようと思ってきたんだろうね?

今となっては、さっぱりわからない。

けれど、そんな自分がいたことを、責めるつもりにもなれない。

はみ出したら愛されない、と思っていた自分のことを抱きしめてやりたい。

そんなこと大したことじゃないよって。

まだ間に合うよって。

あなたがあなたを取り戻すのに。

まだ途中。

でも、そう言ってやりたい。

わたしの自由を、取り戻す。